初恋が欲しい

「おはよう真ちゃん、思いがけない出会いってなんだった?」
 月曜日の朝。教室で真ちゃんと顔を合わせるなり、オレはそう訊ねた。
 端から聞けば意味のわからない質問かもしれないが、根拠はちゃんとある。昨日のおは朝の、蟹座の占い結果だ。朝の占いを見るために休日なのにわざわざ早起きしてしまったのは、もうこの一年と少しの間に染み付いた癖のようなものなのだ。
ラッキーアイテムは無難なところで「ピアノの楽譜」、これは真ちゃんが元々持っているものなので無問題だ。とにかく真ちゃんの事を確認したオレは安心して二度寝し、昼すぎに起きてから家族と買い物に行ったり妹ちゃんとごろごろしながらゲームをしたりして、のんびりした休日を過ごしたのだ。
 その前の休みには、真ちゃんとぶらぶら買い物に行った。相変わらず面白いぐらい趣味が合わなくて面白かった。CDショップに入れば物色しにいくコーナーが違うし、食べ物の好みも正反対だ。楽しいから別にいいけど。
 まあとにかく、そんなわけで、昨日オレと真ちゃんは会っていない。
そしてそのおは朝占いで、蟹座は「思いがけない出会いがあるかも!」と言われていたから、真ちゃんは昨日誰かに会ったのかもしれないと思ったわけだ。
 おは朝占いは、どういうわけだか真ちゃん限定で良く当たる。運勢なんて百発百中で、これはもう占いを信じるあまり占いのほうが真ちゃんの一日に結果を合わせてきてるんじゃないか、とオレは疑っているぐらいだ。
「おはよう。まあ、それなりにあったのだよ」
「なになに」
 真ちゃんは今日のラッキーアイテムである食玩を机の上に乗せ、数秒考え込んだ。食玩なんて色々あるだろうに、わざわざピンクのマカロンを選んだセンスについても問いただしたいけれど、今は昨日の話のほうが優先だ。
 それに、思いがけない出会い、という表現も気になる。
 ひょっとしてオレの知らないうちに、真ちゃんが勝手に運命の相手とやらに出会ってしまったら困るじゃないか。まあ、中学時代から追い続けてたオレだって、充分真ちゃんの運命の相手だと思うんだけど。
「誰に会ったの真ちゃん。つってもオレの知らない人?」
「いや。初恋の人に会ったのだよ」




「…………と、ゆーわけなんだけど!」
 新宿区、誠凛高校にほど近いマジバの一番奥の窓際席。火神と黒子は心底興味がないといった表情で、それぞれバニラシェイクとチーズバーガーを口に運んでいる。火神の食べる量は尋常じゃないから、火神の分は半分だけオレのおごりだ。
「はあ」
「んれ、何が問題なんら?」
「火神は食い終わってから発言しろ! じゃなくて! 真ちゃんの初恋の相手って一体誰なんだよ!?」
 テーブルにダン、と拳を打ち付けると、黒子はあからさまに嫌そうな顔をする。
 でも、だって、あの真ちゃんだぜ。品行方正でまじめでバスケのことばっかり考えていて、普段性欲なんてありませんって涼しい顔をしてる―真ちゃんにもちゃんと性欲があることぐらい身をもって知ってるけど―あの真ちゃんの、初恋だって? 気にならないわけないじゃねーか。いつ? 誰に?
 ただ直接本人に訊くことはできなかった。だって、それでもし今も好きだとか、そうは言わなくても慕っているような様子が伺えたら、きっとオレはすごくもやもやする。知りたくってももやもやしてるんだから、どっちにしろもやもやするんだけど。
「ボクも何が問題か解らないんですが」
「いや、問題っつーか……」
「だって現恋人の高尾君が、どうして見ず知らず緑間君の素敵な初恋の相手、なんて気にするんですか。昔のことでしょう」
「素敵なってなんだよ!?」
 高一のウインターカップを終え、以前より親しい付き合いをするようになってから気付いたことだが、黒子は真面目でいい奴かと思いきや大概いい性格をしていやがる。
 ただ真面目な奴かと思っていたのに、さすがキセキの世代の一員だったとでも言ってやるべきだろうか。けれどその黒子ぐらいしか、高校以前の緑間を知っている人物で連絡するのがたやすい相手がいないんだから仕様がない。
「……で? なんか知ってんの」
「すみません、ボクもよく知らないんです。少なくとも中学の三年間、緑間君が女性とお付き合いしていたことはなかったと思いますよ。女性とは」
「…………」
「男性ともなかったかと」
「お前ホンットいい性格してんな」
 黒子はしれっと「どうも」と頭を下げた。別に褒めてないし皮肉だし。
 バニラシェイクを飲み終えると、時間切れだと言わんばかりに黒子は席を立った。あれだけの量のバーガーをトレイに積んでいた火神もいつのまにか全て食べ終えていて、誠凛って実は変人の集まりなんじゃねえかと真剣に思う。
「ちょ、おごり損じゃねーかよオレ」
「知らないものは仕方ないですし……強いて言えば、高尾君は幸せものですね」
「はあ?」
 だって中学時代でないとしたらそれ以前、ひょっとしたら幼少期の話かもしれないじゃないですか。黒子が言う。
「普通そんな昔のことだったら忘れてしまうものです。でも緑間君は律儀な人ですから、この先高尾君だってそうやって大事に想ってもらえるってことでしょう?」
「…………っ」
 うわあ、と思って思わずテーブルの上に突っ伏した。もちろん今は別れる気なんてさらさらないけど、でも、もしもそういうことになっても真ちゃんはオレのことを覚えていてくれるのか。そう思ったらどうでも良くなった。色々な小さいことが。
 緑間真太郎と付き合う、というのはそういうことだ。
 偏屈でわがままで口うるさくて生真面目だけど、オレはそういう真ちゃんが好きだ。それを黒子に指摘されるのは、真ちゃんを同じくよく知っている相手だけになんだか気恥ずかしいしいたたまれない。
「もしそれでも気になるようだったら、緑間くんが中学時代一番親しかったのはおそらく赤司くんですよ」
 黒子はやれやれと言わんばかりに肩を竦め、火神君行きましょうと言った。




「高尾!」
「うわ、何、真ちゃん」
「どういうつもりなのだよ!」
 朝、顔を合わせるなりラッキーアイテムを壊してしまった時以上の剣幕で怒鳴られて、オレは思わずたじろいだ。心当たりがないわけじゃない、というかありまくるけど、一応オレが聞いたことについては口止めしておいたのに。裏切られたのかちくしょう。
「えーっと、どういうつもりって……?」
「昨日赤司から電話があって一時間も説教されたのだよ。おまえ何か余計なことを言ったんだろう? そもそもあいつだってロクな恋愛経験なんてないくせに……」
 机の上を指でタンタンと小刻みに叩きながら、真ちゃんはイライラしている素振りを隠しもせずじっとり睨んでくる。黒子にも赤司にもちゃんと口止めしたのに、あっさり裏切ったのはあのふたりがキセキの世代贔屓な節があるからなのか、面白がられているのか。後者っぽいところが憎たらしい。
 黒子が思わせぶりなことを言うもんだから、赤司の連絡先を教えてもらってそれとなく聞いてみたのだった。結局赤司も真ちゃんの初恋については知らないらしく、でもメールではそれなりに親切に―今思えばうそ臭さしかねえけど、励まされたりした。
「…………キセキの世代って食えないやつばっかなんだな」
「うるさい。元凶はそもそもお前だろう!」
「ゴメンってば。だって気になっちゃったんだもん」
 ぷりぷり怒っている真ちゃんに、あー最初っから普通に聞いてみればよかった、と思わなくもない。でもそれはそれで複雑なのを、こいつは率直すぎるところがあるから理解しないんだろうな、とも思った。
「……そのぐらい普通に聞けばいいだろう。面白い話でもないが」
 ほらみろ。せっかくいい男のくせに、これだから真ちゃんは鈍感だって言われちゃうんだよ。
「で? 結局どんな人なわけ」
 ここまでバレたらしょうがない。自分の机に座ると真ちゃんの方に向き直って、オレは机の上に頬杖を着いた。真ちゃんはため息をついてメガネを押し上げる。
「そもそも相手は既婚者なのだよ。子供もいる」
「はあ!?」
 年上趣味っつってもまさか人妻とかそんな、と目をぱちくりさせていると、それを察したのか真ちゃんはますます渋い顔をした。
「……小四まで習っていたピアノの先生だ。結婚して先生を辞めてしまったのだが」
「ああ……そりゃあいつらは知らねーわ」
 小四といえば十歳ぐらいの頃か。それでも思ったより昔のことのようで、それをちゃんと覚えている真ちゃんの律儀さに、嫉妬とかそういう前に、オレはやっぱりこいつのことが好きだなあと思った。だってオレは十歳の頃のことなんてそんまり覚えていない。好きな子の一人や二人ぐらいいたはずだけど、名前を思い出せと言われたら、多分ムリだ。
「レッスンの時、ピアノを弾くとそれだけで落ち込んでいるとか嬉しいことがあった、とか理解してくれた人なのだよ。……子供の気分など今思えば簡単に推し量れるものだったかもしれないが」
「なるほど、そりゃスゲーな」
「……お前だってそうだろう、だいたいオレの気分を言い当てる」
「そうかな?」
「そうだ」
 そういうところが有難いし好ましいのだよ、とひどくどもりながら真ちゃんが言うものだから、なんだかもうどうでもよくなった。むしろ黒子と赤司には惚気話で仕返しをしてやろうと思う。それから、いろいろ疑ってごめんね、と。
「あ〜〜〜真ちゃん大好き!」
 オレのこともずっと忘れないでいてね。そう言うと、真ちゃんはなんのことだか解らないといった様子で首を傾げた。そういうところが好きだよ。