バレンタインデー回顧録

 2月14日、ご存知バレンタインデーである。
 もちろん高尾も世の男子に漏れず、秀徳に入学してはじめてのバレンタインに多少は期待を寄せていた。毎日毎日バスケ三昧で、おまけに既に心に決めた人もいるけれど、それとこれとはまた別問題だ。女子からの告白を受け入れる気は毛頭ないが、だからといって女の子にまったくモテなくていいというわけではないのだ。男心だって複雑だ。
 それに、高尾がそわそわしていた理由はもう一つ。
 恋人兼相棒の緑間は、クラスと部内でこそ変人キャラで通っているけれど、だからといってモテないわけではないからだ。一緒にいるからという理由で高尾は女子からの探りをちょくちょく入れられていて、そのたびに「真ちゃんは今バスケ一筋だからな〜」「オレにも教えてくんねーけど、なんかそれっぽい子はいるみたい、なのだよ!」などと言ってそれとなく牽制していたりするのだ。我ながら涙ぐましい努力である。
 確かに緑間は変人だけれど、外見は美しい(かっこいいとも言うけれど、美しいといったほうがしっくりくる)し、背も高く、秀徳バスケ部のエースでそのうえ成績だって良いのだ。モテない要素よりモテる要素のほうが圧倒的に多い。男として負けた、と思うと同時に、バレンタインは大変なことになりそうだなあと高尾は踏んでいたのだ。
 そしてその予感は見事に的中することになる。

「まったく今日は移動教室だけで凄く疲れるのだよ……」
 そう緑間がぼやいたのは昼休みに入ってすぐだった。その時点で、既に緑間のスポーツバッグの中は綺麗にラッピングされたチョコレートで大半を締められている。朝練が終わって部室を出て、教室にたどり着くまでに3つ、教室について担任が来る迄の休み時間のうちに2つ、それから授業間の休憩時間にも毎回誰かしらが緑間を訪ねて来るというありさまだったのだ。
「真ちゃん予想はしてたけどモテモテだねえ!」
「バレンタインデーにチョコを貰うのは初めてなのだよ。まさかこんなに疲れるとは……」
 朝突然チョコレートの包みを押し付けられてびっくりした、と緑間は嘆息し、高尾はその予想外の発言にぎょっと目を見開いた。
「はあ!? 去年までは?」
「どうもこうもバスケ部は関係者以外の差し入れを禁止されていたし、学内にも通達されていた」
「え、帝光ってそんな厳しいガッコだったの?」
「そうではない。が、過去に差し入れに異物……が混入しているというケースがあって」
 弁当を広げながらする話ではないので詳細は省く、と緑間は会話を遮り、高尾も自身の弁当箱を開いた。まあ、キセキの世代は中学時代もそれはそれは目立つ存在だっただろうし、そういう――詳しいところは考えるのをやめておこう、せっかく作ってもらった弁当がまずくなりそうだ。
「黄瀬のバカ宛はもはや学校行事だったから、奴だけは自己責任のうえ特例だったがな」
「学校行事……」
 たとえが大袈裟すぎると突っ込みを入れる気にもならないのは、以前海常高校へ練習試合を見に行ったとき黄瀬のギャラリーを直接目の当たりにしていたからだ。しかも、まだ入学してそう間もない春のことだ。となれば学校中の女の子が黄瀬にチョコレートを渡したがる様子を想像するのは容易である。まさに男の敵。
「まあ、奴が女に貢がれているのはいつものことだったな」
「ぶっ、貢がれてるって!」
 緑間が言うにはなんともミスマッチな発言に吹き出した高尾は、口の中に放り込もうとしていたからあげをなんとか取り落とさずに済ませることに成功した。
 それにしても、お固い性格の緑間がよく素直に受け取っているものだと思ったら、まさか初めてだったとは予想外だった。いや、さすがに母親からは貰っているだろうけれど。でも、それなら一番にチョコレートをあげるのは自分が良かった、と高尾は思う。お互い男同士だし余計な気なんて使わなくても既に両想いなのだから、バレンタインのプレゼントはなしにしよう、なんて決めなければよかった。甘いものは得意でないし、高尾自身貰ったチョコレートはだいたい妹の口に入るのが毎年のことなのだが、緑間がくれたチョコだったら全部食べきる自信はある。
「……告白なら断る、それ以外の……義理は一応受け取る、一度受け取ったものを突き返すわけにはいかないのだよ」
 それでいいだろうか。緑間がらしからぬ気弱な声を出すので、高尾はきょとんと目を瞬かせた。
「真ちゃ、」
「緑間ー! 客だぞ、このモテモテ野郎がっ」
「……行ってくるのだよ」
 箸をケースにきちんとしまって、高尾が口を開くまえに緑間はそそくさと席を立った。声をかけてきたのはドアの一番近くの席で購買のパンをかじっていたクラスの奴で、廊下には橙色の小箱を大事そうに抱えた女子生徒がそわそわしながら立っている。まあ、どこからどうみてもバレンタインデーのチョコレートだ。
「高尾は惨敗なの?」
「んー、そんなことねーよ? ……まあエース様には敵わねーけど!」
「んじゃそんな高尾に友チョコあげる。ちゃっちいけど数の足しにでもしてよ」
「マジでー、あんがと!」
 一人になった高尾に話しかけてきたクラスメイトの女子が、義理にもならないような小さなチョコレートを差し出した。それでも気遣いはありがたく貰うことにして、高尾は再び弁当と向き合う。
 ――ヤバイ、そんな物欲しそうな顔してたかなオレ……
 欲しいのはチョコの方じゃないんだけど、と独りごちながら高尾は窓の外を見やった。さて、部活の時間も入れればあと6時間以上もある。いったいエース様のバレンタインチョコ数はどこまで伸びるのだろうか。自分との会話をあと3回以上邪魔されたら、少しぐらい不機嫌になるふりでもしてやろう。そうしたら緑間は不器用なご機嫌取りをよりいっそう頑張ってくれるだろうか。
 まだ食事の途中だったが、貰ったチョコの包み紙を開いて口に放り込んだ。チョコレートとキャラメルヌガーの甘ったるい味が一気に広がって、どろどろ溶けていく。