#3

「おっ、真ちゃんみてみて〜、いや聞いて〜」
「なんなのだよ」
「黒子がちょっと面白いリツイしてるんだけどさあ」
 ソファに座ったまま、高尾はスマートフォンの画面を人差し指で弾いた。くるくると画面が流れていき、再びお目当てのつぶやきを発見する。バニラシェイクのアイコンは高校時代からの友人の、黒子のものだ。軽くタップしてホーム画面に飛んだ。
 昔から本を読むのが好きだ、と言っていた黒子は、大学の在学中に賞をとって小説家デビューを果たした。高尾は黒子と同じ大学で親交もあったし、学部こそ違えど時々同じ授業を取っていたので、公になる前からそれを知らされていた数少ない友人のうちの一人だった。それももう数年前のことで、それから黒子は何冊か新作を出版し、そのどれもがそこそこの有名作になっているのだからすごいことだ。たしか、一作目がもうすぐドラマ化されるはずだ。いささか気配の薄すぎる黒子が、大学の頃喫茶店でアルバイトをしようとして客に気づかれなかったことを知っている高尾としては、こうして存在感の有無に関係のないフィールドで成功を収めようとしていることに友人として安心している。
 何事においても、才能があるというのはうらやましい。
 高校時代から、高尾の周囲には「天才」と言って差し支えない人間が何人かいる。何をやらせても及第点だが、何か一つのことに天才的な力を持っているわけではない高尾は、それをほんの少しだけ羨ましいと思うのだ。だからといって高尾は自分が嫌いなわけではないし、そこそこ器用で愛想もよく、人に好かれやすい自分のことはむしろ気に入っている。だてに高尾和成を27年やってきたわけではないのだ。
 それに、天才であればいいというわけでもない。
 なぜなら天才と呼ぶべき連中は、どうにもこうにも手が掛かる奴ばかりだからだ。だからこそ自分のような凡人がうまく支えてやらないといけないんだから、なんてことを今ではちゃっかりと思っていたりする。
「1万日目の誕生日だって。なるほどなーその発想はなかったわ」
「生まれてからということか?」
「そ。大切な方のお祝いを僕もしました、……ってこれ火神のことかな?」
「まあ、恐らくそうだろうな」
 そこそこ名のしれる立場になった黒子は、当たり前だがネット上でプライベートを深くは語らない。もちろん直接の知人である自分たちが見れば何のことだかわかることは多いけれど、改まった報告や相談事があれば直接連絡すればいいだけだ。とはいえ、とりあえずいつでも元気そうにしている様子を確認できるので、便利な世の中だと思う。
 ちなみに面倒という理由で、緑間はSNSといったものを一切やっていない。
 緑間は高尾の隣に腰を下ろし、横からスマートフォンの画面を覗きこむ。黒子のページを表示したまま差し出してやるといくつかの発言をチェックし、「元気そうだな」と満足気に頷いた。
「1万日なら、27歳と4か月と少しだな。閏年もあるから誤差が出そうだが」
「えっ真ちゃん計算したの!?」
「すぐにわかるだろう、このぐらい」
「まーそうだけど……おっ、何月何日か出せる計算機あんじゃん。真ちゃんドンマイ」
 くっついていたリンクを開いてみると、誕生日を入力すればその日を知れるという電卓のサイトにたどり着いた。そこに緑間の誕生日を打ち込もうとした高尾は、「あれ?」と首を傾げる。
「……火神の誕生日って夏じゃなかったっけ」
「ああ、奴は獅子座なのだよ」
「ってことは真ちゃんもう過ぎちゃってんじゃん! あー黒子なんでもっと早く教えてくんねえの!?」
 それでも一応生年月日を打ち込んでみたが、案の定表示されたのは3ヶ月以上も前の日付だった。おまけにそれは高尾の誕生日の翌日で、むしろ甘やかされて過ごしたのは自分のほうになる。もっと早く知っていれば誕生日だからと腑抜けていないで、緑間のことだって存分に甘やかしてやれたのに。本当に勿体無いことをしてしまった。
 けれど緑間は気にもとめない様子で、お前は、と高尾を急かした。
 腑に落ちないまま高尾は自分の生年月日を打ち込み、画面を緑間に見せてやる。
「おらよっ」
「……弱ったな、オレはその時期ちょうど長期出張が決まってしまったのだよ」
「へ? そーなの、珍しいね。どんぐらい?」
「どうしても出向かなくてはいけなくてな。といっても3週間ほどだ」
 緑間は仕事用の鞄から手帳を取り出して確認し直すと、がっかりしたように肩を落とした。
「ま、オレもなんもできなかったわけだし、あれだよ。喧嘩両成敗的な」
「……それはお互い様、と言うのだよ」
「はいはーい。ま、そんなことより一杯どうよ真ちゃん、カルーア買ってきたんだぜ」
 スマートフォンの液晶を消し、高尾は冷蔵庫にしまってあるリキュールを取りに台所へいった。緑間の甘党は今になっても健在で、せっかく酒に強い体質をしているのに甘いカクテルばかり好んでいるのはもったいない。高尾はアルコールに強い方ではないので本当は辛口の日本酒や、カクテルであればジンのきいたようなものが好きなのだが、あまり飲むことができないのだ。神様は不公平だ。
 氷を入れたグラスにリキュールと牛乳を注いで軽くかき混ぜ、自分には缶ビールを一本取り出す。
 とりあえず大人としてお互い忙しい身であるので、こうしてのんびり出来る時間は貴重である。もうじき緑間が家を空けるならなおさらだ。
 3週間はそこそこ長い、と高尾は思う。
 けれどついこの間まで雪が降るだの降らないだの言う話ばかりしていたのを思い出し、やっぱりあっという間だろうなと訂正した。
 缶のまま飲むのは味気ないだろう、とわざわざグラスにビールを注いでくれる緑間は真剣そのものだ。そんな細かいことを気にしなくてもいいのに、泡との割合をできるだけ3対7にしようとしているのだ。そうすると美味しいというのは有名な話だけれど、そんなことより緑間がそうしてくれるだけで充分すぎると何度も言っているのに。
 高尾はテーブルに頬杖をついて微笑んだ。5月の連休はきっちり休みをもぎ取らせよう、と考えながら。