緑間君の顔が見たい高尾君

 洗い物をしている背中に勢い良く張り付くと、緑間は思い切り眉を顰めて高尾を振り返った。両手は泡にまみれているので振り払うことができないのは把握済みだ。
「鬱陶しい!」
「えーいいじゃん別に。ホラあとコップで終わりじゃん〜」
「甘ったれた声を出すな。気色悪い」
「またまた、そんな高尾ちゃんのことが可愛いくせに〜!」
 がちゃがちゃと音を立て洗い終えた食器を流しつつ、緑間は呆れた様子でため息を吐く。
「オレは確かに裸眼の視力はあまり良くないが、眼鏡を掛ければ1.2もあるのだよ。大学の健康診断でも問題ない結果だった」
「え?」
「お前のような男を可愛いなどと思うものか。頭が腐ったか」
 水切りカゴに洗った食器を綺麗に並べ、タオルで濡れた両手を拭く。高尾は緑間の背中から離れ、寝室からハンドクリームを取ってくると差し出された両手に塗りこんでやった。台所用の洗剤は、よく汚れが落ちる分乾燥を助長する。本当は洗い物まで全部引き受けても構わないのだが、料理がからきしな緑間は代わりに洗い物をすることが習慣になりつつあるので、高尾はハンドクリーム係に落ち着いたのだった。エース様の手を守るのは最早使命である。
 やや水気を失った手を潤してやりながら、しかし高尾が思い返すのは先程の緑間の発言だ。
 いつものツンデレ、で片付けるには、緑間の口調があまりにも普通だった。あれは多分本当に呆れた時の声色だったと思う。もちろん高尾とてれっきとした男だし、かっこいいと思われたい年頃だし、別にかわいいと言われたいわけでもないのだけれど。自分でかわいいともこれっぽっちも思っていないけれど。
「だって真ちゃん言うじゃん、オレに。かわいいって」
「は?」
「……エッチのときとか」
 あ、なんか言い方間違えた、と高尾は思った。
 これじゃあまるでベッドへのお誘いだ。揉んでいた手をぱっと離して否定すると、緑間は両手の指を組み合わせて高尾が触れていない部分までハンドクリームを伸ばしていく。
「お前は基本的にまったく、これっぽっちも、可愛げの欠片もないが、」
 している時ぐらいは可愛いと思わなくもないのだよ。と続けられた言葉の意味がすぐに理解できず、高尾はぱちくりと瞬きをした。いくとき。どこへ?
 それが今まさに否定した類の話だと気づくのにおよそ10秒を要した高尾は、気恥ずかしさにじんわり頬を赤らめた。といってもセックスなんて既に数えきれないほどしてきた関係だし、別に今さら初心がっても仕方ない。へー真ちゃん俺のイキ顔かわいいと思ってるんだむっつりだね、と茶化すのも簡単に――と思ったところで、はて、と思い当たる。
「……オレ、そういえば真ちゃんのイキ顔見たことない気がしてきた」
「は? あるだろうそれぐらい普通に」
「や、まあ手でとかお口でしたげることはあるけどさ」
「……嫌だぞ」
「ちげーよ! いやそれでもいいけど! 突っ込んでる時の真ちゃんのイキ顔ちゃんと見たことねえなってだけだよ! 尻をかばうな!」
 身体はすっかり慣れてしまったし、今後緑間以外とお付き合いする予定も高尾にはないからそれはまったく問題ない。緑間が望むなら逆の立場になるのはやぶさかではないけれど、とりあえず高尾はセックスに関しても現状に満足している。
 ただ、緑間が気持ちよさそうにしている顔は何度も見ているのに、その瞬間だけはどうしても鮮明に思い出せない。それが気になったのだ。
 緑間は合点がいった様子で、「お前、いく瞬間はいつも目を瞑っているか焦点があってないかのどちらかだろう」としたり顔で言った。
「えっ? いや? そーかも……?」
 快楽を得ている緑間の顔が高尾は好きだ。普段は真面目でストイックで、大学では高嶺の花だなんて言われてしまったらしい(この話を聞いた時は死ぬほど笑った)緑間の欲情しきった顔なのだ。世界で自分だけが見ることのできる。そんなわけで、高尾は大抵きちんと目を開けて見ていることにしている。ばれたら怒られるのだが、キスの合間だってたびたび目を開けては緑間のきれいな顔を眺めているぐらいだ。
 確かに繋がっている最中はひどく気持ちがいい。びりびりしたなにかが背骨を通って全身が痺れてしまうぐらい気持ちがいい。気持ちよすぎて息が詰まって達してしまうその瞬間の記憶は、普段は恥ずかしくてわざわざ思い返さないけれど、目がくらむほどの快楽ばかりで視覚はほとんど機能していないようだ。
 むう、と高尾は唸る。
「真ちゃん、エッチする時って何が一番気持ちい? フェラ? 普通にヤってるとき?」
「な、なんなのだよ急に……」
「いや、これすっごい大事なことだから。性の不一致は離婚原因にもなり得るんだぜ? まーオレら結婚はしてねーけど」
「…………普通に抱いてる時、だと思う」
「だよな」
 どうにかして緑間の顔が見たい。それが一番気持ちいいと言うのだから、手や口でいかせるのではなく、ちゃんとセックスしているときの顔だ。けれどこれまでの失敗経験からいって、見ていようと意識すればどうにかなるものでもないようだ。本当に緑間とするのは気持ちがいい。
 高尾は口元に手を当てて、ううむ、と本格的に頭を捻った。こんなにまじめに頭をフル回転させるのは、受講者の7割を落すとドス黒い噂の講義の期末レポート以来かもしれない。
 さて、どうするべきか――考えに考えた結果、高尾はあまりにも単純すぎる結論にたどり着く。
「真ちゃんハメ撮りしよう。オレが撮る方で」
「死ね」






「……本当にするのか」
「ん、……やる、ちょっとまって、っ」
 湿り気を帯びた口元を手の甲でぐっと拭って、高尾はふうー、と長く息を吐いた。手で制されて動きを止めた緑間は、高尾が片手を伸ばして携帯を取るのを複雑な気分で眺めた。
 何をどう考えてこういう結論に至ったのかさっぱりわからないが、高尾は緑間の顔を撮りたいらしい。まったくもって悪趣味だ、としか言いようがない。
 緑間は、撮られることが得意ではない。
 普通に生活していれば写真を撮られる機会はたびたびある。帝光時代にはバスケ関係のインタビューを受けることもあり、試合の様子だって基本ビデオで撮られているものだった。そういったものはまだいい。普通にしていればいいのだから。それ以外では――緑間は笑顔を作るのがそもそも苦手なのに、いざそういう場面になると笑って、などと言われるのに辟易してしまう。普段からニコニコ愛敬を振りまけるタイプの人間ならまだしも、自分のような男がそういった時だけ笑顔を作っているほうがよっぽどおかしいだろうに。そういうわけで、いつしか撮られるという行為そのものが好きではなくなったのだ。
 とはいえ今は笑えと強制されているわけではない。それでもそれ以上にイレギュラーな要求をされているのは確かなので、なんとも複雑な気分である。
「っはあ、真ちゃん、サービスしてくれよな……っ」
「うるさい変態め」
「オレだって真ちゃんの顔、ぜーんぶ見たいの」
 緑間の戸惑いなどこれっぽっちも気に留めず、高尾は寝転がったまま携帯を操作している。
「……そもそも、そんなもので巧く撮れるものか」
「動画にするっつの。最大134分まで録画可能なんだぜー、ま、真ちゃんだってもーすぐっしょ?」
 にや、とあくどい笑みを浮かべた高尾がそこをわざとぎゅっと締め付ける。思わず息を詰めた緑間は、むっと気分を損ねるままに高尾の腰を掴んだ。そのままぐいと引き寄せれば、あう、とひしゃげた声を上げ慌てて落ちそうになった携帯を握り締める。
 たっぷり濡らしていたぶってから繋がった高尾の中は、肌に触れて感じる体温よりも少し温かくて気持ちがいい。
「んっ、もー……真ちゃんせっかちなんだからぁ」
「黙れ」
「はいはい、撮りますよ……っと」
 シーツの上にちゃんと肘をつけたのは手ブレを減らすためなのだろう。そういうところは咄嗟に気が回るのだから始末におえない男なのだ、高尾というやつは。動いて、と強請られると同時に腰を引くと、ピロリン、とカメラの起動音が鳴り響いた。
 組み敷いた高尾の手からそれを払い落とすことなど容易いことだったが、緑間の手は高尾の腰から離れなかった。むきになるのも大人げないだろう、というのは最早ただの言い訳だ。散々昂ったところでおあずけを食らったせいか、はたまた高尾の中が興奮でうずうず震えているからなのか。ともかく頭が沸いている。
 結局のところ、同じ穴の狢なのだ。
 意固地になるよりも、諦め開き直ってしまったほうが楽なことだって多い。というのはここ数年で高尾から学んだ処世術である。
「……っ、はあ、」
 止めていた腰を再び動かしはじめると、押しやっていた快楽がすぐ舞い戻ってくる。奥まで捩じ込んでから中を引っ掛けるようにもったいぶって引くのを繰り返すと、高尾の中が無意識に答えようとしてくるのがいじらしい。離さないと言わんばかりに絡みついてくる。
 緑間はいつものように口づけるため高尾へ顔を寄せようとして――向けられている携帯の存在を思い出し、そっと顔を離した。頬を赤らめて蕩けそうな顔をしているくせに、高尾がいつもより大人しいのも気に食わない。物足りなさをごまかすため名前を口にすると、高尾の内腿がぎゅっとこわばり緑間の腰を挟み込んだ。
「……、っ、真ちゃん、」
「高尾」
「や、……あっ、ん、真ちゃん……、しんちゃ、」
 薄く開いた唇から覗いている高尾の舌先が自身の唇をくるりと舐める。口さみしいのだと目で訴えられても、この状況を望んだのはお前だろうが、としか緑間には思いようがない。真ちゃあん、と甘ったれた声で呼ばれることにどこか優越感を覚えながら、緑間は応えてやるように「たかお」と名前を囁いてやることにした。普段ならぜったいにしないような、出せるだけ甘い声色で。


 *


「真ちゃん!」
 ドアのノックもせず部屋に入ってきた高尾は、机に向かってレポートを打ち込んでいる緑間にはお構いなしに勝手にベッドの上に座り込む。夕飯も既に済ませ、あとは寝る前に順番に風呂に入るだけのまったりした時間のはずだったのだけれど。
「こないだの見ようと思ったんだけどなんか一人じゃ照れくさくてさ〜」
「一人で見ろ」
 一緒に、と言いかけた言葉を遮る。
 どこの世界に自分だけをひたすら映したハメ撮りを好んでみる輩がいるものか。高尾を映したものだったら見てやるのもやぶさかではないが、自分の行為中の顔だなんてできれば一生見たくないものでしかない。そうだ、今度はそうすればいい、何事もギブアンドテイクだ、と緑間は思いながら「結論」と打ち込んだ。これをまとめてしまえば明日は本当にのんびり過ごすことが出来るのだ。
 高尾はぶつくさ言いながら、それでも部屋を出て行くつもりはないらしい。ベッドの上で寝転がる衣擦れの音がし、しばらくしてから映像を再生する音が聞こえてくる。構ったら負けだ、と思いつつ、ややノイズがかった声が聞こえてくるのはなんともいたたまれない。高尾の甘えた声と、自分の声。
「うわー、うわー……ちょっとブレてるけど、なんか、うわー」
「……うるさいぞ高尾」
「だって、ちょ、やば、真ちゃんすげえ、あーでもオレの声入ってんの恥ずい……」
「一人で見ろと言っているだろう!」
 引き出しから使っていないイヤホンを取り出し、ベッドの上で身悶えている高尾へと投げつけた。渋々ながらそれをはめたらしく、すぐに聞こえてくる音声は途切れる。
 あの時はつい勢いで乗ってやってしまったが、やっぱり後に残るものはだめだ。いま高尾がセックスしている最中のあれを見ているのだと思うといたたまれない。第三者に見せるものではないとわかっているし、高尾とならいつもしていることだが、しらふの状態で見ていいものではないに決まっている。
 さっさと出て行けと思いながら、緑間は既に頭のなかで考えていた文章を打ち込んでいく。無音になったおかげか、集中した状態に戻るのは案外簡単だった。
 そういえば、高尾のほうはきちんとレポートをこなしているのだろうか。試験前は死にそうなていで夜中までやっている姿を何度か見かけているが、それ以外の時は緑間よりバイトの日数も多く入れているし、家事だって高尾が負担する割合のほうが多い。緑間のほうが学部柄忙しいのかもしれないが、それにしても。
「…………高尾?」
 暫く放っておいたことに気付いた緑間が振り返ると、高尾は緑間に背を向けるように横向きに寝転がって、きちんとイヤホンを耳にはめている。聞こえていないならいいか、と机に向き直ろうとした瞬間、高尾が耳からイヤホンを抜いてぱっと振り返った。そういえば、最近あまり使っているところを見かけていないが、高尾にはホークアイがあるのだ。
「し、真ちゃん……」
 振り返った高尾の顔は見たことのないくらい――それこそ告白の時よりも真っ赤に染まっていて、緑間は思わず狼狽えそうになる。しかし直後にその原因を思い出し、諸悪の根源である携帯を高尾の手からもぎ取ろうと立ち上がった。
「真ちゃん、これマジでやばい……ほんと、そこらのAVなんかよりずっと」
「消せ」
「や、マジこれ抜くとき使えるっつーか」
「……変態かお前は、第一お前の声だって入りまくっているだろう」
「なんかそれもやばいんだって、オレめっちゃ気持ちよさそーだし……」
 勃っちゃった、と申告してくる高尾はもじもじしながらうるんだ目で見上げてくる。生身の本人がすぐそばにいるのにその体たらくか、と苛立つ気持ちと興奮とがないまぜになりながら、緑間は薄く開いた唇にかぶりついた。