夜の染め方(緑高小説アンソロジー寄稿)

「そういえば、なんでカボチャだったんだろ?」
 と言いながら、高尾はスポーツバッグを無造作にリヤカーの中へ放って、やや乱暴な所作に緑間は眉根を寄せながら自分のバッグの隣に並べてやった。高尾がハンドルを掴んで支えるのを確認してからリヤカーに乗り込むと、体重を受けてギシリと鈍い音を立てる。
 春から数えると、もう半年以上になる。その間ずっと雨ざらしで使い続けてきたリヤカーは、そろそろ本格的な修理が必要なのかもしれない。なにしろ成人男性より体格のいい緑間を乗せて走っているのだ。一度、スタメンの先輩たちを一気に乗せたことだってある。そのとき漕ぎ手に回ったのは、高尾ではなく宮地であったが。
 高尾がペダルを踏み込み、慣れた調子で動き出す振動を感じながら緑間は緩みかかっていたマフラーを巻き直した。
「今日はカボチャを食べる日だろう」
「え? そーだっけ?」
 カボチャ、というのは先ほど練習の締めに大坪が言ったことだった。今日はカボチャでも食べてゆっくり休むように、と。
十二月二十ニ日、今日は冬至だ。
 きっと部員たちを緊張させすぎないように、という主将の気遣いだったに違いない。明日からウインターカップが始まるという時分、思うところは色々とあるだろうけれど。緑間ですらそれを理解していたというのに、何かと聡いところのある高尾があまりにのんびりしたことを言うので、思わず長い溜息をついた。白くなった息が風に掻き消されていく。
「冬至だろう、今日は」
「あー冬至……ってゆず湯の日? であってる?」
「そうだ。カボチャだけではなく、《ん》の付くものを食べ運気を上げる日だ」
「カボチャついてねーじゃん」
「南瓜というだろうバカめ」
 段差かなにかに引っかかったのだろうか、リヤカーがガタンと一度大きく揺れる。
「おーっし信号!」
 しばらく進むと赤信号に引っかかり、高尾は意気揚々と振り返った。緑間は無言のまま拳を出し、あっさり勝利する。いちいち掛け声を出さなくても、じゃんけんのタイミングはぴったり合うようになっていた。
「うちはカボチャ食わないんだよなー」
「そうなのか?」
「ゆず湯は毎年入るけどな。家族も辛党が多いからかもしんね、ほら、甘いだろ」
 高尾はひとりごとのように言い、信号が青に変わると再びペダルを踏み込んだ。ギ、と一瞬軋んでから動き出す。一度止まってしまうと漕ぎだすのが重くてつらい、と高尾は何度も文句を言っていたが、緑間は一度も漕ぐ側に回ったことがないので知ったことではない。
 その後も何度か信号に引っかかったが、当然すべて緑間が勝った。一見、いつも通りの帰り道だ。
「高尾」
「うん?」
「今日はうちでカボチャを食っていけ。授業はもうないのだから、そのまま泊まっても構わない」
「ええ? どしたの急に」
 高尾は振り返らずに言ったが、おそらくこちらの様子を伺っているのであろう気配があった。
明日だって朝から高尾は緑間を迎えにくることになるのだから、むしろその移動分の手間が省けるだけで断る理由がないだろう。
 と、さすがにそこまでのごり押しはしなかったのは、恐らく高尾が断ることはない、と解っているからだ。
 今日はいつもより早めに練習を切り上げ、居残り練習もなしだったので、学校を出る頃にはまだ空が薄ぼんやりと夕焼けが残っていた。けれどさすがに一番日が短いだけあって、この数十分の間にすっかり暗くなってしまっている。
緑間の家まであと一つか二つ、という信号に差し掛かったところで高尾が今度は後ろを振り返り、寒さでじんわりと赤くなった顔でくしゃりと笑顔を作りながら、
「んじゃーいっちょ、エース様の験担ぎにあやかってみますかね!」
 と言いながら、拳を付き出した。



 気がついたのは、今日の練習中だった。
 おそらく高校に入学してから、高尾から出されるパスを一番多く受け取っているのは自分だと緑間は自負している。中学時代の高尾のことはよく知らないが、相棒と呼べる存在がまだいなかったのなら、高校に入ってからと限定する必要もないかもしれない。
 高尾のパスは、鋭いのにとても手に馴染む。
 コートのほとんどをビジョンエリアとしている高尾は、いつだって欲しいと思った場所に寸分違わずボールをくれる。だから緑間はボールをもらいに行く、という概念がすっかりなくなっていた。
 中学時代も黒子のパスが回ってくることは当然何度もあったが、それには緑間が彼の位置を意識している必要があった。そもそも黒子のパスは消去法だ。ミスディレクションを利用し、パスが通るルートを縫うように軌道を変えていくものだ。
 初めのうちは高尾も黒子も同様のパスに長けた選手だと思っていたが、根本的に違う。そういうことを理解し、信頼している程度には、この半年と少し緑間は高尾のパスを受けてきた。ゲームの時だけではなく、居残り練習中や立ち寄ったストバスのコートでも。
 今日、高尾から受けたパスは、ほんの少しだけ違和感があった。
取り立てて指摘するほどではないし、秋から二人で練習してきた連携も問題なく決められる範囲ではあったけれど、長くパスを受けてきた緑間にだけわかるような僅かな変化だ。
「いただきまっす」
「いただきます」
 緑間の母親は突然高尾を連れてきたことに驚いていたが、すぐに二人分の夕飯を用意してくれた。案の定カボチャの煮付けは鍋いっぱいに作られていて、男二人で思う存分食べても余るぐらいあった。
 真ちゃんのお母さん料理上手ですね、と高尾が愛想よく振舞っているのを横目で見ながら、どうしたものかと緑間は考える。高尾がべらべらとよく喋るのは今に始まったことではないが、それにしても今日は浮き足立っているように思えた。
 緑間にも、覚えがないわけではない。
 帝光中時代、一年の段階でレギュラーを獲得していた緑間にとっては随分と昔のことのように思えるが、初めて全国大会のコートに入った瞬間は目眩がしそうなほど緊張したのを今でも覚えている。自分は冷静な人間だと思っていたにもかかわらず全身の感覚はどこか薄ぼんやりとしていたし、判断力もあまりに鈍っていて、サイドラインから出てしまったボールがどちらのものになるのか、などという初心者でもわかるようなことを間違えた。 
 キセキの世代と呼ばれている自分たちだが、誰だって初めからそうだったわけではない。勝負強さも度胸も、経験で培ってきたものだ。はじめからまったく物怖じも緊張していなかったのは、恐らく自分たちの中で最もバスケ馬鹿な青峰ぐらいだろうか。
「真ちゃんのラッキーアイテムじゃないけど、なんかいいな、こういうの」
 柔らかく煮たカボチャに箸を突き刺しながら、高尾は一人納得するように頷いた。比べると緑間より一回りほどは小さいくせに、高尾はよく食べる。
「こういうの?」
「験担ぎ。なんかホントに良いことありそう」
「ありそう、ではなくあるのだよ。あとはゆず湯に浸かって早寝すれば問題ない」
「一緒に入っちゃう?」
「そうだな」
 緑間が頷くと、高尾は「えっ」と変な声を出し固まってしまった。けれど箸からぽろりと落ちたカボチャを茶碗ですかさず受け止めた反射神経はさすがである。
「や、冗談っつーか……」
「入ると言っただろう」
「え、だって、……さすがにダメっしょ。今日は。いくら明日試合じゃないからって、」
「何を考えているんだバカめ」
 ちょうどリビングから外していた母親が入ってきたので、説教の代わりはダイニングテーブルの下、足を軽く踏んでやるだけに留めておいた。
 ウインターカップ一日目は、朝の開会式を終えるとすぐ、まず女子の試合が始まる。男子の一回戦は夕方と、残りは二日目を使って行われることになっているのだ。秀徳の初戦は二日目の夕方からなので、明日は開会式が終わったら一度学校へ戻って軽く調整だ。それから明日の最注目試合でもある、誠凛と桐皇の試合を見に行くことになっている。
 それが終われば、あとは連日試合が続く。
 ちょうど冬休みに入ったところなので、ウインターカップのことだけに集中できるのはありがたかった。予選は十一月中の週末を使って行われたので、どうにも気持ちを切り替えることができず、ピリピリし続けていたせいで高尾には随分と迷惑をかけた、と思う。
学校行事もなにかと多い時期だったのに、教室でいつにも増して無愛想にしている緑間のフォローをしてくれていたのだ。
だから、というわけでは決してない。
 強いていえばチームメイトであり相棒だから。高尾がいないと勝つことができないから。もっと単純に言ってしまえば、好きだから。
 勝つことができればそれで良かった頃とは、まるで雲泥の差だ。
「もう明日から本戦、ってはえーよな」
「そうだな」
「あー、なんかボール触りたくなってきた……、ってか触ってねーと落ち着かないかも。ボールちゃんに恋してんのかなオレ?」
「ふん」
 すっかり空になった茶碗を置いて、ご馳走さまと両手を合わせる。それからテレビをつけ明日の天気が晴れであることを確認すると、食休みもそこそこに風呂場へ向かった。もちろん高尾も連れて。
「……こう、なんつーか、堂々と親御さんがいる前で一緒に風呂に入っちゃうっつーのは……真ちゃん的にいいわけ?」
「男同士だろう」
「まあ銭湯とか行きゃ一緒だけどさ!」
「もたもたしているならオレが脱がせるぞ」
「……自分で脱ぎます!」
 着ていたものは全て洗濯機に放り込んだ。乾燥機を使えば、明日の朝にはまた着られるようになる。
「すげえ、いい匂い」
 浴室にはゆずの香りが漂っていた。湯の中には橙色の実が三つ、ぷかぷかとたゆたっている。
 順番に身体を洗ってから二人で湯船に浸かると、さすがにすこし湯が溢れてしまった。ついでに流れ出そうになるゆずを手にとって、高尾は鼻を近づけると深くにおいを嗅ぐように息を吸い込んだ。
「真ちゃんちって風呂結構広いよね」
「父も背が高いからそう作ったらしい。まあ、今はオレのほうが高いが」
「そーなんだ。まあ、風呂と寝床ぐらいはのんびりしたいよなぁ」
 とはいえ男二人で入っていては、さすがに足を伸ばすことはできないのだけれど。向かい合っている高尾は、ゆずの実をジャグリングの要領でぽんぽんと器用に弾ませているようだった。眼鏡を掛けていないのでほとんど視界はぼけているが、橙色はなんとなく見分けることができる。
「うおあっ!」
「……おい」
 水面から覗いている膝に緑間は手を伸ばし、それに驚いた高尾が立て続けにゆずを落とした。ぱしゃん、ぽしゃん、とはねたお湯が顔面にかかり、緑間はむっとしながら顔を拭う。
「い、いまのは真ちゃんが悪いだろ!」
「……大袈裟すぎるのだよ」
「ビックリするだろ普通!」
「まあいい、高尾、足をこっちに伸ばせ」
「へ? ちょ、うわ」
 夏より少し筋肉の増えたふくらはぎをすくい上げると、高尾はまた慌てて素っ頓狂な声を上げる。慌てたせいで滑ったらしい高尾は、ごん、と浴槽の縁に後頭部をぶつける音を立てるとそのまま頭を湯の中に落とし、豪快にしぶきを立てた。
「っぶあ! おい! 鼻にお湯入ったじゃん!」
「お前が暴れなければいい話だろう」
「だーかーらー、あーもう……大会前日に溺死とか笑えねーだろが……」
 ぐずぐずと鼻を擦りながら高尾は不服そうに言い、張り付いた前髪を掻き上げる。
「なら手で構わない、よこせ」
「手ぇ? ならいいけど……何すんの」
「マッサージでもしてやろうかと思って。足はお前が暴れるなら、風呂から出てからやればいいだろう」
 上に向けさせた手のひらを、緑間は両手でむにむにと揉みほぐしていく。恐ろしいほど正確なパスを出す指先は少しかたくなっているのだが、今はお湯に浸かっているせいか暖かくて柔らかいような気がした。
「痛くないか?」
「あー……うん、もうちょい強くても平気」
「このぐらいか」
「ん、気持ちいい。けどなんで急に……今日だってちゃんとダウンもやったのに」
 もう片方の腕で膝を抱えるようにしながら、高尾は大人しく手を差し出したまま首を傾げる。緑間が答えないまましばらくそうしていると、先ほどまでとは打って変わって落ち着いた様子で高尾は欠伸を噛み殺した。
「反対」
「はいよ。真ちゃんこれ終わったら交代しよーぜ、オレもやったげるよ」
「別にオレはいい。……が、頼むのだよ」
「どっちだよ!」
 けらけらと笑いながら、高尾は空いた手でゆずの実をつついて沈めて遊んでいる。ひとまず緑間は安心して、親指の付け根のあたりをぐりぐりと指圧してやった。
「オレ、全国って初めてなんだよな。会場も近いし明日だってガッコ戻るけど、でもなんか、こえーな」
「いつも通りやればいいのだよ」
「分かってるけどさー、今の秀徳で全国経験ないのってオレだけじゃん。先輩たちは去年も行ってるし」
 なのにそのオレがチームに指示出すのってどうなの大丈夫なの、などと高尾は小声で続ける。
 大丈夫もなにも、秀徳の司令塔は高尾なのに。
 もちろん全てが完璧なわけではない。が、どのフォーメーションが一番有効か一瞬で見極め、的確にパスを出し、常に有効なプレーを見極めるのに高尾ほど長けた選手はいないのだ。それは皆が認めている。
「誰だって初めての時はあるだろう。帝光の連中のデビュー戦失敗談だって腐るほどある」
「それって真ちゃんのも?」
「……まあ、なくはない。だが教えないぞ」
「ちぇっ。てか、それフォローになってなくね? オレが何かミスする前提じゃん」
 するがままになっていた手を開放してやると、高尾は唇を尖らせながらそう言い、目の前で数度、両手をぎゅっと握って見せた。
「大丈夫だ。カボチャだって食べたしゆず湯にも入っただろう、これで明日から運気も良くなるのだよ」
「そーかね。てか他の奴らもこのぐらいやってるだろ、冬至なんだからさ」
「問題ないのだよ。オレ達がいるだろう」
「……ええ、なにそれ」
 高尾がにやけた表情を隠すようにばしゃばしゃ音を立てて顔を洗うのを見ながら、いつもの様子に戻ったらしいことに、緑間も少し安心した。
「よっしゃ、ぜってー勝つぞ!」
 風呂場に響き渡る声で高尾がそう宣言し、うるさいのだよと緑間は顔を顰めた。その声が外にまで聞こえていたのだろうか、脱衣所の方から「二人ともいつまで入ってるの」という母親の声が聞こえ、緑間と高尾は顔を見合わせてから苦笑した。



「そういや、明日のラッキーアイテム様は?」
「ハサミなのだよ」
「お、案外普通じゃん。大会中はかさばらないモンだといいな、……っ、ん、」
 体重を乗せて背中を押すと、高尾は小さく呻きながら上体をぺたりと布団の上に伏せた。そのままゆっくり十カウントして身体を起こす。
 客用の布団を出してもらって、緑間の部屋に並べて敷いた。眠る前のストレッチは、験担ぎの一部として毎日欠かさない習慣だ。それに高尾も付き合って、交代でお互いの身体を伸ばしてやった。部活以外ではそれほど念入りにしているわけではない、という割に、高尾の身体はやわらかい。
「次は右だ」
「はいよ、うー……」
 貸してやった緑間の寝間着は高尾が着るにはぶかぶかで、首周りの隙間からちらちらと肌が覗いて目のやり場に困る。ついさっきまで裸を見ていたのに、こうして目にすると毒になるのは何故だろうか。緑間は気づかれないよう溜息をこっそり吐き出しながら、空調の温度をすこしだけ上げる。
 ひと通り柔軟をし終えると、高尾は大きく背伸びをして肩をぐるりと回した。それから緑間の部屋にあるボールを手にとって、指先で回しはじめる。
「……まあ、ラッキーアイテムが何であろうと人事を尽くすだけなのだよ」
「そうはいっても物理的な限界があるだろー。デカすぎ重すぎ壊れやすすぎ、は三大アンラッキーフラグなんだからな!」
「オレに言われても困る」
「せめて調達しやすいものにしてくれー、おは朝!」
 窓の方へ両手を合わせて拝みだした高尾を横目に、用意しておいたハサミをバッグにしまった。確かに、遠くまで調達に出ないといけないものがラッキーアイテムになったら困るなと思った。
けれど常に人事は尽くしているのだから、あとはそうならないよう祈るだけだ。
「真ちゃんちは布団もでかいよな」
「普通のでは足がはみ出る」
「ははっ、そういや合宿の時も真ちゃんくるぶしぐらいまでしか布団なかったっけ!」
「夏なら別にそれでも構わないがな」
 高尾は布団の上に仰向けに寝転がると、シュートを打つ要領でボールを真上に放り上げた。
 常に一定の回転がかかったボールは一度もぶれることなく同じ軌道を描き、緑間ははやくそれを受け取りたい、と思った。高尾にとっては「もう」かも知れないが、緑間にとっては「やっと」始まるのだ。待ちに待った全国の舞台が。帝光時代とはまったく違う、ぞくぞくと胸が震えるほどの高揚感で臨む、たった一度の。
 どちらにせよ、あとは全力で戦うしかない。
「あー! もう明日からなんだな!」
「いつも通り、」
「やればいいのだよ、だろ? 分かってるよ」
 台詞の続きを取られて不服だったが、沸き立つような気持ちに免じて許してやることにした。
「ならさっさと寝るのだよ」
「あー、そうだな」
 緑間はいつものようにナイトキャップを被り、眼鏡を外すと枕元に置いた。朝の集合が早いので、目覚まし時計はいつもより一時間早くセットする。
「電気消すよ?」
「ああ、頼む」
 緑間は先に布団に潜り込むと、首元まで布団を引っ張り上げた。
「しんちゃーん」
 寝る姿勢を取っていた緑間の上に、高尾が伸し掛かるように身を投げる。体重をかけないよう両手をついているが、それでも勢いよく乗り上げられた緑間は衝撃に顔を顰めた。
「……寝ろ、と言ったはずだが?」
「うん、そーなんだけど、さ」
「まだ緊張しているのか?」
「あ、やっぱバレてた?」
 へへ、と高尾は笑う。眼鏡を外しているうえ、部屋の明かりが逆光になっているので緑間からその表情はまったくわからない。そのままおもむろに唇を押し付けられ、ちゅ、と短い音を立てていった。高尾の髪が顔に掛かってくすぐったい。
「ありがとな、緑間」
「何がだ」
「なんでもねー」
 鼻先がくっつきそうな距離のまま退いてくれる気配がないので、仕方なく緑間は両手を持ち上げると高尾の前髪を掻きあげてやる。
 そのまま後頭部を抱き寄せ、今度は唇をぴたりとくっつけるようにキスをした。ただ触れ合ったままじっとしていると、やはりというべきか、先に焦れたのは高尾のほうだった。いつも飄々としていて明るくどんなこともそつなくこなすように見える高尾だが、本当はそんなことはなく案外我慢弱い。というのも、この数ヶ月の間に知ったことだ。唇を割りひらいて伸ばされた舌先に、緑間は甘ったるく歯を立ててやる。
 どきどきと跳ねる心臓は、交わしているキスのせいなのか明日から始まる試合への高揚感が原因なのか、混ざり合って良くわからなくなっていく。
 曖昧なことは苦手で、シンプルで明快なもののほうが緑間は本来好きだった。
戦術もフォーメーションも数多くあるけれど、バスケという点数を競うゲームの中で最もシンプルでわかりやすいスリーポイントが好きなように。物事に確かな優先順位をつけ、それをきっちり遂行していくことこそが尽くすべき人事なのだと思ってきたように。
「……、ん、っ……」
「高尾、」
 ところが今はどうだ。緑間は自問する。
 勝利や得点や、そういった目で見て解るもの以外にも、今ではひどく執着している自分を、緑間はきちんと自覚している。否、させられた、というべきだろうか。
 恐らく一般的には、恋とか友情とか絆だとか、そんな風に飾られた言葉で呼ばれる、自分とはまるで対岸にあるように思っていたもの。それらが混ざり合ってぐずぐずになって、でも不思議と嫌ではないのだった。
「はー、……真ちゃん、」
「……いい加減寝るぞ」
「そうだ、電気消すんだったっけ……」
 高尾はへにゃりと緩みきった顔をして、するりと顔を離した。濡れた口元を手の甲で拭い、混じり合った唾液を飲み下して長く息を吐く。と同時に部屋の明かりが消され、カーテンを閉めきっている部屋は途端に真っ暗になった。
 ごそごそと高尾が隣の布団にちゃんと入った気配を確認して、緑間は目を瞑る。
「ねー真ちゃん」
「なんだ?」
「手ぇ繋ごうよ。寝るまででいいから」
「……好きにしろ」
「やった。お邪魔しまーす……っと」
 自分から言い出したくせに遠慮がちに潜り込んできた高尾の左手が、緑間の右手をそっと握った。繋いだ手が冷えてしまわないように、掛け布団の端同士を重ねあわせて隙間をなくしてやった。高尾の手は暖かいので、触れているには心地よい。
「真ちゃんおやすみー」
「……おやすみ」
 どきどきする感覚はしばらく尾を引いていたけれど、じっと触れているだけで次第に落ち着いていくのがわかった。
そういえば今日は一年でいちばん夜が長い日だっただろうか、と緑間はうとうとしながら思い出し、眠りに落ちる直前考えたのは「朝が待ち遠しい」ということだった。