迷信

 体格のよさ、才能、確固たる自信、華々しい試合遍歴、中学を卒業したばかりの15歳とは思えないほど恵まれたそれらに嫉妬しなかったはずがない。二年間の差などもろともせずエースの座に君臨した緑間真太郎は、同じくバスケに心血を注いできた清志にとっていまいましい存在だった。まだ出会ってさほど間もない頃の話である。
 いくら才能があるからといって、そして王者と呼ばれる秀徳バスケ部が実力主義であるといっても、いかんせん真太郎の態度は目に余るほど傲慢で我儘だった。周囲に合わせて自分の能力を埋もれさせるのは我慢ならないと堂々と言い放ち、揉めに揉め一日三回までの我儘権を獲得してからは惜しげもなくそれを行使した。そんな常軌を逸したルールを認めざるを得なかったのは、清志らの先輩たちが抜けアウトサイドの戦力が手薄になった秀徳に優秀なシューターが必要だったからだ。でなければ野放図な後輩など好き勝手にさせておくはずがない。何度もぶん殴りたいと思う気持ちを押さえ、微々たる暴言(後にものすごく怖かったと告白されたのは心外だ)に留めていたのは、そういう事情があったからだった。打算的だ、と言われればそうかもしれない。でも、皆でただ仲良くバスケをするために清志は「部活」をしているのではない。他の部員たちもそうだ。それならそこいらの公園にいくらでもストバスのコートはあるのだから、そっちへ行けばいいだけのことだ。清志の同級生だって、何人も厳しい練習に耐えかねてやめていった。それでも残っている今の部員たちは、全国大会の舞台で勝ち上がるためにバスケをしている奴ばかりなのだ。


 ときに、真太郎は「おは朝」という番組の占いを盲信している。
 仮入部の初日からバスケには関係ないものを持ち込んで物議を醸していたその習慣は、二週間もする頃にはすっかり馴染んだ光景になっていた。小さいものならばまだいい。持ち込まれるものが手のひらサイズを超えるもの――野球の金属バット、羽毛布団、折りたたみ椅子、ゴミ箱、それから試合の日にベンチにまで持ち込まれた狸の信楽焼――になるとさすがに目に余ったが、元々我儘の変わり者で通っていたせいもあって、清志はそのことについて何の疑問も持っていなかった。
 しかし、星座占いというのは誕生日を十二に分けたものだ。厳密にはなにかきちんと法則があるのかもしれないが、単純に考えれば十二日のうち一日は運勢が最高で、同じ数だけ最悪の日があるということだ。そういう日の真太郎はいつにも増して神経質で、ラッキーアイテムに固執し、その態度は占いというものを微塵も信じていない清志を苛立たせた。「オマエ、運勢良かったんじゃないのかよ」
「……? 今日は六位ですが」
「ちげーよ! 試合のときの話だよ、誠凛の」
 今日が六位だということは既に知っている。コートの外に置かれているタッパーの中身が福神漬けであることも、それが今日のラッキーアイテムであるということも。
 運勢がよくラッキーアイテムもきちんと持っていて、それでも敗北を喫した心境はどんなものだろうと清志は思った。インターハイを予選敗退という結果で終えた後、真っ先にいつも通りの態度に立ち直ったのは真太郎だったのだ。試合後ふらりとどこかへ行ったまま、解散するまで戻ってこなかったくせに。あれだけ信じていたおは朝占いの結果もよく、ベンチにまで邪魔くさいラッキーアイテムを持ち込んでいたくせに。そう、嫌味を込める気持ちもほんの少しあった。「大きさが足りなかったのだよ」
「あ?」
「あの日のラッキーアイテムは大きさが足りなかった。それだけのことです」
「…………大きさ」
「そうです」
 だから、思いがけない返答に清志は虚をつかれた。あれだけ重くて大きくて邪魔でしかなかった置物に対して「大きさが足りなかった」だなんて、そんなことがあってたまるかと思う。しかもそれを言う真太郎は、迷いない口調のくせまるでそれを信じているという表情ではないのだから始末が悪い。これじゃあオレが虐めているみたいじゃないか、と清志は思い、まったくもってその通りだとばつの悪い気持ちになった。
 足を止めた清志を置いて、バッシュを鳴らしながら真太郎は真っ直ぐモップを掛けていく。今日も恐ろしい数のシュート練習をこなし、こうして一番最後まで居残り練習をしているくせに、最後に縋るのはそこなのか。そう思うとみぞおちの辺りがむかむかする。 占いを信じ始めたのがいつだとか、どういういきさつだったか、清志は知らない。想像もつかない。けれど百パーセントに限りなく近いフィールドゴール成功率を持っていながら、いや、持っているからこそだろうか。負けることを何か他のもののせいにしなくてはいられないのは。
「……バッカじゃねーの」
「何かいいましたか?」
「轢かれて死ね!」
「はあ?」
 モップの柄に力を込めて、振り返った真太郎の横に追いつく。頭のいいやつのことだから、きっとそれが本当は一種のプラシーボ効果にすぎないということにもちゃんと気づいている。ラッキーアイテムがあるから大丈夫、ないからだめだ、そんな馬鹿げたことが本当にあるはずないってことぐらい。 単純に、あの試合の結果について、彼は自分の負けだと思い込んでいるらしい。バスケというのは勝ち負けがあるゲームだけれど、一人でやるものではない。負けは一人の敗北ではなく、チームの敗北だ。そんなルールのいろは以前のことを理解していないなんて、なにがキセキの世代だ、と清志は足音荒く体育館の端まで一気にモップを押していった。急に怒りだした先輩に、真太郎は首を傾げやや距離をとって後ろをついてくる。
「別にお前がどんなに邪魔くさくて忌々しいラッキーアイテムを持ってようがオレには関係ねーけど」
「……」
「お前のせいだなんて思ったことはねーからな」
 だからもうその変なラッキーアイテムとやらはやめろ、と、そこまではさすがに言えなかったけれど。ほんとうは、清志たちは負けたことをたった一人の責任にするつもりはないし、真太郎もまたラッキーアイテムのせいになんてしなくていい、そういうことを本当は素直に伝えたかった。けれど口に出したら言葉ばかりが上滑りしてしまいそうだし、口先だけの信頼ほど軽薄なものはない、ということぐらい解っている。せんぱい、と掛けられた声を遮って「早くモップがけ終わらせろ!」と怒鳴り返すと、まったくもって可愛げのない後輩はあわてて斜め後ろから追いかけてくる。体育館に二人きり、どうにも柄ではないことを言った自覚はあった。ああもう、用務員室に鍵を取りにいったもう一人のいけ好かない後輩は、一体どこで油を売っているんだろうか。