先輩後輩

「宮地サンって結構いい人っすよね」
 ずるるる、と隣でラーメンを啜っていた宮地が横目でじとりと高尾を見た。れんげで掬ったスープを口に運びながら高尾はその気配を察していたが、気にせず箸に手を伸ばす。
 ラーメン食べに行きましょう、と誘ったのは高尾の方だった。
 卒業した先輩たちは、いまでも差し入れを持ってきてくれたり、大会の時には度々様子を見に来てくれている。けれどそれも年に数回ぐらいあればいいくらいのことで、今は大学生をしている宮地と会うのは随分と久しぶりのことだった。
彼のバイトが終わるのを待ち、ピークをとうに過ぎ客もまばらになったラーメン屋に入ったのは九時半を回った頃だった。
「……なに高尾、お前試合で頭でも打ってきたの?」
「違います〜、ただ久々に宮地さんに会いたいなって」
「語尾にハートつけんな轢くぞ」
「付けてないっすよぉ」
 わざと語尾を甘ったるく伸ばすと、カウンターの下ですねを蹴り飛ばされた。高尾はイテテ、と苦笑いを浮かべながらコショウを振りかける。
「ま、宮地さん今日もなんだかんだ来てくれたし」
「……そりゃー、お前から改まって誘われたら来るだろ。なんかあったん?」
「なんかあったとかじゃないんすけど、」
 ずずず、と麺をすすると空腹だった胃がきゅっとなるような気がした。とりあえず伸びてしまう前に食べるのが先決だ、と言わんばかりに黙々と食べていると、宮地も観念したように箸を進める。
 ファミレスなんかを指定しなくてよかった。向い合いって改まってするような話はないのだから。

 在学中、宮地はそれはもう怖い先輩だった。同級生たちも皆怖がっていたし、スタメン入りしていたぶん高尾は人一倍怒られていたような記憶がある。けれどコートの全面を見ていた高尾は宮地のプレーがとても綺麗なことを知っていたし、宮地がなにも理由なく怒ることはなかったので反発することはなかった。
 けれど、一度だけ。
 まだ入部して間もない頃だった。練習試合で高尾は何本かシュートを打ったが、一本しか決まらなかったのだ。目の能力を生かしパス回しに特化したスタイルを取っていた高尾が、試合でシュートを打つ数は元々さほど多くはない。
 特に秀徳のアウトサイドは緑間主体で構成されたパターンがほとんどで、監督も他の先輩たちもそのやり方を認めているようだったのに。けれど宮地はそれをよしとせず、スコアシート片手に高尾に散々説教をしたのだった。
 ――お前さあ、ノーマークで外すとかナメてんの? 轢くぞ?
 ――大坪や木村がいなかったらリバウンド全部敵チームにやる気か? あ?
 ――パスだけ回してりゃいいと思ってんだったらお前なんていらねーぞ!
 確かそんなことをこんこんと言われ、高尾はそのときはじめて宮地に反発する気持ちを持ったのだと思う。だって、自分はホークアイの能力をかわれて秀徳のポイントガードになったのだ。正確にパスを回しボールを優位に運び、点数を取るために。
 バスケは一人でやるゲームではない。そして高尾に課せられているのはそういう役割なんじゃないのか、と。
「…………ます、」
「は?」
「出来ます。オレだってシュートぐらい」
 けれどそうは言わなかった。言い訳だと自分でも分かっていたからだ。バスケは上手くパスを回せば勝てるルールじゃない。点を多く取ったほうが勝つ。まだ一年で入学したばかりとはいえ、高尾にだってプライドはあった。緑間に対するライバル意識も。
「あっそ。じゃあそうしろ」
 話はそれだけだ、と宮地は存外あっさりと話を打ち切った。
 その翌日、気まずいなあと思いながら部活に顔を出した高尾は、あまりにも普通に宮地が「よお高尾」と挨拶してくるものだから面食らったのを覚えている。いつも通り何かしでかせば容赦なく怒鳴られたし、そうでない時は普通の先輩後輩らしく一緒にだべったり自主練に付き合ったりもした。いつも通りに。
 けれどその間ずっと、高尾は一人でシュート練習をしていた。
 出来ると言ったからにはやらなくちゃ示しがつかないと思ったし、見返してやりたいという意地もあった。部活が終わったあと緑間の自主練に付き合うついでや、自主練に先輩たちも残っているときは一旦家に帰ってから近所のストバスコートに出かけた。ただでさえきつい練習のあとなのでそれはもう疲れるし大変だったが、
「やるじゃん高尾」
 と後頭部をはたかれた瞬間は、ぶわっと鳥肌が立つほどうれしかった、のは今でも鮮明に覚えている。その試合のミドルシュートだけはずっと覚えている自信があるほどだ。高尾が出来ますと言ってから二ヶ月ほど経った時のことだった。
 今思えば――自分が先輩という立場になるまで気付けなかったのだが――宮地はよく怒る先輩だったが、怒る、というより叱ると言うべきだったに違いない。

「んで、お前最近どーなの」
「まーもう毎日怒鳴りまくってますよ。宮地サンみたいに」
 食べながら訊ねられて、高尾ももぐもぐと口を動かしつつ返事をする。高尾のどんぶりから二枚入っていたチャーシューのうち一枚が攫われていったけれど、抗議はぐっと押し留めた。宮地はおとなしくしている高尾に不思議そうな顔をしたが、ぱくりと容赦なく噛み付いてしまう。
「なんか高尾じゃ威厳なさそうだよな」
「ひでえ! ってかそれオレもちょっとは気にしてるんすよ……まあ怒ると怖い、とは思われてるっぽいんだけど。一年ってなんでこう手が掛かるんすかねー」
「オメーらが一年の時のオレの気持ちがやっと解ったか?」
「スンマセン感謝してます」
 チャーシューもう一枚もどうぞ、とどんぶりを差し出すと、後輩からそんな貰えっかバカと小突かれる。ついさっき勝手に一枚持っていったくせに。
「最近じゃ相談事はまず真ちゃんに持ちかける奴も結構いて、なんつーかオレ頼りないのかなーとか気にしちゃってるわけっすよ」
「そりゃ単に緑間のが頭いいからじゃねえの」
「……宮地サンほんと容赦ないっすね!」
「別にいーじゃん、それで」
 お前らの代はそれでバランス取れてんだろ、とさらりと言われて高尾は「うーん」と黙り込んだ。確かに緑間は困ったときに的確なアドバイスをくれたり頼りになるところはたくさんあるのだが、怒鳴ったり叱ったりするのが得意ではなく、なにかあれば勝手に一人で拗ねてしまう。一年の頃から変わらない悪いくせだ。それはきっとわがままを一日三回、と甘やかしてしまった監督と先輩たちのせいに違いない。
 その分叱るのはもっぱら高尾の仕事で、けれどこれがなかなか難しい。
 一足先に食べ終えた宮地が「ごっそーさん」と両手を合わせ、尻ポケットから財布を取り出す。それを見ながらまだもごもご口を動かしていた高尾は、ごくんと喉を鳴らしてその腕を掴んだ。
「あ、今日はオレが出すつもりで来たんで」
「はあ? 毎日部活ばっかやってる後輩に奢らせるわけねーだろ、刺すぞ」
「いやーなんか今更だけど礼がしたくなっちゃって」
「……高尾クンさー、いま木村がいたら即軽トラ借りてるとこだぞ?」
 ゴン、と先ほどより強く頭に拳をぶつけられて、その容赦なさに高尾は頭頂部に両手を当てて悶絶する。
 一年世話になったお礼がたかだかラーメン一杯で済むとは思っていないが、なんでもいいから恩返しがしたいだけなのだけど。高尾は頭をさすりながら唇を尖らせた。
「いーじゃないすか、気持ちっすよ気持ち」
「そんなのいらねーよ。今度はお前が後輩にしてやることだろ」
「……宮地サンたまにカッコイイこと言うの反則なんすけどぉ」
 さっさと支払いを済ませてしまった宮地に頭を下げながら、当たり前だけど卒業したあともこの人は先輩なんだよなあ、と思った。
「たまにって何だよ。いつもだろ?」
「いやいやいや。ごちっす」
「つーかお前明日も練習あんだろ? さっさと帰るぞー」
「うっす」
 頭をわしわしと掴まれて高尾は肩を竦める。その感触はとても懐かしい感じがするのに、もう同じジャージを着ていない先輩の姿はやけに大人びて見える。ごちそーさま、と店主に言いおいてさっさと外に出てしまった宮地を追いかけて、高尾は秀徳のロゴマークがはいったスポーツバッグをしっかりと肩に掛けた。