宮地と友人と秀徳の話

 高校はバスケの強いところ、と決めていた。

 何かしらの部活動に所属しなければならなかった中学時代。結構強いらしいから、という浅い動機で入った中学バスケ部で三年間を経る頃には、宮地はすっかりバスケットボールの虜になっていた。最後の大会での成績は都ベスト16で、中学校の数も多い東京都の中では喜ぶべき結果だ。宮地もレギュラーとして試合に出ていたし、負けた時は皆で泣いたけれど、満足感のある三年間だった。
 けれどもっと上を目指したい。宮地はそう思い、夏の大会が終わるとまず東京都内でバスケの強豪校はどこなのか調べたのだった。中学は学区内の公立だったが、高校は自分で行きたいところを選ぶことができるのだ。

「なあ、高校どこ受けるか決めたか?」
「オレは秀徳にする」
 9月、まだ残暑の厳しい教室で声を掛けてきたのは、同じく夏までバスケ部で精を出していた宮地の友達だった。宮地と同様にバスケが好きで、高校でも絶対に続ける、と公言しているうちの一人だ。
「うお、あそこって偏差値高くなかった? 一般だよな」
「一般しかねーだろ、これから死ぬ気で勉強すんだよ。野口は?」
「ちょい遠いけど、泉真館にするつもり」
 別々だな、と少しだけ残念そうに言い野口は窓から外を見やる。グラウンドでは夏前より人数の減った陸上部とサッカー部が練習をしている。だいたいの運動部は、夏の大会を機に3年が引退する。
「ま、どっちも“王者”なんだし試合で会うだろ。早くレギュラーになんねーとな」
「その前に、高校落ちたら洒落になんねーぞ!」
 窓から吹き込む風がカーテンを揺らす。宮地は全国の高等学校が載った分厚いガイドブックを閉じて笑った。

 結局、同じ中学のバスケ部から、秀徳へ進学したのは宮地一人だけだった。
 偏差値や家庭の事情もあるし、全員が全員バスケの強さで高校を選ぶわけではないのは当然のことだ。すでに他にやりたいことを見つけていて高専に進んだ奴もいる。学業に精を出す者、アルバイトに励むもの、それぞれだ。ただ宮地はバスケットを選んだ。
 王者と謳われるだけあって、秀徳の練習は入部したての時からものすごく厳しいものだった。走る量がとにかく尋常ではなかったし、中学の頃と比べると練習時間は跳ね上がった。中学時代「それなりに」いいチームにいた、なんて自負は一瞬で打ち砕かれたし、きつい練習の上1年は掃除やコート整備もしなくてはならなかったし、先輩には毎日のように怒鳴られてばかりだった。その厳しさといえば、ゴールデンウィークが過ぎ、インターハイ予選が始まるころには結構な数の1年生がすでに部を去ってしまっていたほどだ。
 けれど練習の厳しさにめげてしまうほど、宮地のバスケに対する決意は軽くはなかった。
 そのために秀徳を選んだのだ。練習が厳しいのは覚悟の上だったし、チームメイトとはいえ同じ1年だって数少ないユニフォームを得ようとしているライバルである。だからやめていく部員を引きとめようとは思わなかった。元々その程度の意気だったのだから、部に残ったところでいずれ耐えられなくなるのは目に見えている。全国大会経験もある大坪はすでにレギュラー入りしている有望株だったし、当然だが他の奴らも強豪校のバスケ部に入部するだけあって、上手い奴は多かった。
「最近どう?」
「練習きつくて吐いてる」
「あー……オレも」
 時々ぽつぽつとメールをして、休みが重なることは滅多にないので直接会うのは数ヶ月に一度、そんな風に細々と野口との交流は続いていた。
 お互い目標はレギュラー入りである。練習がきついという愚痴は別々のチームであっても共通のもので、近況報告はどれもこれも頷ける話ばかりだった。最初の頃は別の学校に進学したことを寂しく思うこともあったが、同じユニフォームを奪い合うより試合で当たることを望める状況はライバルとしてとても心地良かったのだ。秀徳も泉真館も、都内ではほぼ立場の揺らぐことのない全国常連校なのだから。
 高1の間は夏も冬も応援席で過ごした。それからも死にそうになるほど練習をした。2年にあがると、宮地はやっとユニフォームを貰うことができた。監督の読み上げた登録選手一覧に自分の名前が入っていた時の喜びを、宮地は練習が終わってすぐ報告した。野口はまるで自分のことのように喜んでくれて、更に良いことに、その翌週には自分もレギュラーに入れた、という報告を受けた。とはいえ当たり前のことだが、試合に出る時間がもっとも長いのはスタメンの5人である。ベンチ入りしているとはいえ、控えの宮地は実際の試合に出ることはあまりなかった。スタメンを温存しておくことができる場面の代替か、万一怪我などのトラブルがあった時か。それでも試合に出して貰える時は全力で臨んだし、公式戦のコートはいつになく緊張して、わくわくして、興奮した。バスケが楽しくて仕方なかった。

 そして冬、先輩たちが引退し、自分たちが最上級生になる1年間が始まる。
 2年からユニフォームを貰っていた宮地は、チームの中心メンバーとして腰を据えようとしていた。とはいえもちろんここで終わりではない。秀徳でスタメンになる、というのは過程の一つに過ぎないのだ。インターハイで優勝する。そのために勝つのだ。
 来年こそ試合で、と約束をした。「うちが勝つけどな」と宮地が言うと、「それはこっちのセリフだろ」と野口は笑った。


 けれど、それからすぐ後のことだった。
 中学を卒業しバラバラになった「キセキの世代」のうち一人が秀徳に入ることになった、今後3年間は彼中心のチームメイクをしていくことが必須になる、という話を聞かされたのは。


 中学最強と謳われるキセキの世代。2学年上の宮地は実際の彼らと試合をしたことがなかったが、その噂はよく聞いていた。中学生ながら雑誌に大きく特集が組まれていたこともあったし、帝光中バスケ部といえば知らない者はいないほど有名で、それも伝説じみた記録を残した学年である。
 チームとして強かっただけならば、すごいチームがあったな、で話は終わる。だが、そのうち一人でも獲得できた高校は勝利に大きく近づく、とまで言われるほど、彼らは一人ひとりのポテンシャルにも優れていた。だからこその「キセキの世代」だ。そのうち一人を秀徳は得ることができたということで、当然ながらチームにかかる期待は膨れ上がった。インサイドが強いと言われた秀徳が獲得したのは比類ない実力を持ったシューターだったのだ。これまでにないほど最強の布陣になる。
 ――はずだった。

 結果から言うと、秀徳高校は、決勝リーグにすら進むことができなかった。
 キセキの世代シューターである緑間真太郎を以ってしても。1年の時は応援席から、2年の時はベンチから見ていた、インターハイの舞台に立つことは敵わなかったのだ。忌々しい。都代表は桐皇と鳴成、そして泉真館の3校になった。秀徳を打ち負かせた誠凛は決勝リーグで大敗したのだ。自分たちに勝ったチームがそのまま勝ち進むとは限らない、そんなことはわかっていたが、やりきれない気持ちでいっぱいだった。だって、自分は、3年は、今年が最後の夏だったのに。
 緑間が秀徳に来なければ、と思った。シューティングの実力だけは認めるが、それがどうした。去年までのほうがよっぽど「秀徳のバスケ」が出来ていたんじゃないか。インサイドに比べるとアウトサイドの選手層が薄かった秀徳にとって、有能な1年たちが入ってきてくれたことは喜ばしいことのはずだ。だがそれで勝てないなら本末転倒じゃないか。イライラと爪を齧った宮地に、木村は「あいつらを気に食わないと思うのはオレらの都合だろ」と苦笑した。まったくもってその通りだ。予選敗退以降、緑間にも高尾にも他の部員たちからの風当たりがやや強くなっているのにも気付いている。チームが不和を抱えている場合じゃないとも、スタメンの立場である自分がもっとしっかりしなくてはいけないことも解っていたが、インターハイへの道が閉ざされた失望は大きかった。2年間早くあそこに立ちたいと思いながら見てきただけに、とても。
 泉真館はインターハイの2回戦で負けたらしい。
 というのもその日は例年とずらした日程での合宿があったので(昨年までならインターハイの始まる数日前に終わるように組まれている調整合宿だ)、試合そのものは見ていないのだ。結果は携帯で確認した。点差だけが書かれた簡単な表記だった。宮地はため息をつく。
 図らずしも合同練習することになった誠凛は、春と比べ格段に実力を伸ばしているように感じられた。得点だけ見れば練習で行ったゲームは秀徳の全勝で幕を下ろしたが、実際の試合だったら?



「秀徳だったらもっといい結果が残せたんじゃないか、って言われたんだ」
 と、数ヶ月ぶりに顔を合わせた野口は肩を竦めて言った。
「は?」
「インハイ。予選トーナメントの組み合わせがああじゃなければさ」
 確かに秀徳のいたブロックには正邦もいたし、他のブロックと比べ強いといわれるチームが多かったかもしれない。けれどもし組み合わせが違ったら、なんてことを考えても仕方のないことだ。結局のところ勝たなければ先には進めないのだから。
「……アホなこと言ってんじゃねーよ」
「宮地だって本当はそう思ってんじゃねーの」
「なんでだよ」
「そっちにはいるじゃん。“キセキの世代”」



 たびたび宮地は1年に当たるように怒鳴った。元々優しい先輩でいるつもりは微塵もなかったが、さすがにこれは自分でも良くないと、そんな暇があるならもっと努力しなくてはと思ったけれど、小さな不和は否応なく積み重なっていくのだ。
 いくらキセキの世代がいるからといって、試合で勝てなければ何の意味もないのに。冬こそ、という前向きな気持ちはもちろん多いにある。練習にも熱が入った。けれど時々ふと湧き上がる「また負けるんじゃないか」とざわつく気持ちを抑えきれない。これまでずっと頑張ってきたのに、チームの中心である緑間がきちんと機能してくれなくては勝つことができない。なんとも理不尽なことだ。
 野口との連絡はぱったりと途絶えていた。向こうにも宮地と同じように思う所は色々あるのだろう。何しろ自分たちは3年で、今年が最後なのだ。これまで一緒に努力してきたのに、というやるせない気持ちはあったけれど、だからどうすることもできない。変わってしまったのはどっちなのか、はたまた両方なのか。
「……お前ら、まだ残んの」
「はい。ノルマまであと63本なんです」
「鍵はオレが戻しておきますんで!」
 もやもやしながら自主練を切り上げようとした宮地は、体育館に残っている1年コンビがまだ練習を続けていることに気付いて一応声を掛けた。
 高尾と緑間が居残り練習をしていくのは当たり前のことになっていたが、それでも毎晩一番最後まで残ってやっていく。緑間のノルマが一体何本なのか宮地は知らないが、ここ最近は以前にもまして数が増えたような気がしていた。毎日毎日シュートばかり打ってよくやるよ、と内心でほんの少し毒づいてみる。シュートだけ打てたって試合で勝てなきゃ意味がないのだ。最初の頃に比べると頻度はかなり減ったように思うが、練習中にも時々緑間は「我儘3回」の権利を使って自分のシュート練習に時間を宛てることすらあるのだ。そんなにスリーが好きなら延々一人で打っていればいいものを、どうして。
 今日はどうにも皮肉っぽくてよくない、宮地は首を軽く振って「オレあがるから鍵ちゃんとしろよ」と言った。
「宮地サンお疲れ様でっす!」
「……」
 緑間は何も言わずに軽く頭を下げ、しゅるると手の中で回したボールを一度床にバウンドさせた。
 あと62本入れるのに何分ほどかかるのだろう。
「緑間さあ、お前そんなシュート練習ばっかしてて楽しい?」
「……質問の意味がわかりませんが」
「お前、ずーっと打ってんじゃん」
「別に楽しくはないですよ。増やしたので疲れていますし、動作は言わば単純作業のようなものです」
 言いながら放ったシュートはやはり真っ直ぐリングを通り、ボールが床に叩きつけられる音だけが大きく体育館に響いた。周囲には緑間の使ったボールがいくつも転がっていて、高尾はそれらを拾いにボールバスケットを引きずって歩いていく。
「じゃーなんでそんな根詰めてやってんの?」
「先輩がソレを言うんですか?」
 心外だ、と言わんばかりの表情を浮かべ緑間は振り返った。
「勝つために決まっているでしょう」
 へえ、か、ああ、か、よくわからない曖昧な返事をして宮地は足早に体育館を出た。自分勝手で傲慢で、チームをチームとまるで思っていないんだとばかり思っていた緑間に、まるで当たり前のことのように言われたことがなんだかとても恥ずかしかった。緑間だってエースという立場に胡座をかくために秀徳に入ったわけではない、そんなのは当然のことだ。でも、
「わかりにくすぎるだろ……!」
 だったらもっと協調性を持て、シュート練習以外にもやるべきことはたくさんある。緑間はオフェンスもディフェンスもバランスよく出来る奴だけれど、フォーメーションだとかスクリーンの合わせ方だとか、もっと色々あるだろう! 宮地は水道の冷たい水で顔をばしゃばしゃと洗い、タオルで顔を乱暴に拭いながら短く舌打ちをした。頑なだったのはどっちだ。どこかで緑間のせいだと決めつけていたのは自分ではないのか。ずっと感じていたチームの不和なんて、本当は大したものではなかったのかもしれない。
 秀徳は緑間を中心にしたチームだ。だからといって他のメンバーがひたすら補佐に回らなくてはいけないわけではないのだ。バスケは1チームたった5人で行うスポーツなのだから。
 顔を洗って、部室に戻る前にもう一度体育館を覗いてみると、相変わらず緑間と高尾は練習を続けていた。あれから数本ぐらいは進んだのだろうか、緑間のシュートはきれいにゴールネットを揺らした。ダブルチェンジの練習をしていた高尾が気付いて手を止めたが、それを片手で制して宮地は体育館を後にした。試合で勝ちたい、気持ちのいいゲームがしたい。そう思った。



 ウインターカップ予選は夏の上位8校を元に行われる。鳴成が霧崎第一に負けたこと以外に番狂わせはなく、勝ち上がった4校で決勝リーグが行われる。秀徳は一勝一引き分けで、最後の試合を泉真館と戰うことになった。
 一週間前の第二試合、泉真館は対霧崎戦で一人負傷者を出したらしい。隣のコートで誠凛と試合をしていたのでその様子は見ていなかったが、試合が終わったあとの客席の雰囲気からあまり気持ちのいい試合ではなかったことは感じていた。秀徳との試合でも二軍の選手を使った捨て試合をしてきていたのを思い出す。確かに秀徳との一試合を捨てても、残りの二試合を制すれば勝ち抜けられる確率はぐっと上がるのだ。だからといってそのためには何をしてもいいわけではないだろう、と苦虫を噛み潰したのは宮地ばかりではない。
 負傷者が出たが実際には打ち身程度で済んだので、泉真館もベストメンバーだ、と言う情報が試合前に伝わってきたとき宮地はとても安心した。恐らくこれが最初で最後のチャンスだったからだ。「試合で」という約束を果たすための。
「宮地」
「よお」
 試合後、着替えを終えた宮地はトイレに行くからと先にロッカールームを出ていた。特に会おうという約束はしていなかったが、直接顔をあわせたいと思っていたのはどうやらお互い様だったらしい。先ほどの試合を除けば、野口と向かい合うのはやはり数ヶ月ぶりのことだった。なんとなく気まずい別れ方をしてしまっていたからメールもしづらくて、思えばこんなに連絡を取らずにいたのは初めてのことかもしれない。
「しっかしオレンジのジャージって目立つなあ」
「うっせーな、3年も着てりゃこっちはもうこのダサさが癖になってんだよ」
「なんだそりゃ」
 野口は眉尻を下げて笑い、それから「悪かったな」と付け加えた。宮地は頷く。
 試合は秀徳が勝った。31点差だ。ウインターカップ本戦に進むのは秀徳と誠凛に決まった。それを予想通りだと評する声ももちろんあるだろうが、勝負は実際やってみるまでどうなるかわからないものだ。ということを夏に身を持って宮地は知っているので、そうやって知ったようなことを言う輩はナンセンスだなと思えるようになった。もちろん負けるつもりは毛頭ない。今の秀徳は強いんだと自身を持って言うことができるチームになっているからだ。
「本戦頑張れよ」
「当たり前だろ。うちが優勝すんだからな」
「相変わらず宮地は強気だなあ」
「そんなことねーけど」
「まあ、それで結構小心者だしな」
「うっせ」
 小突き合っているうちに、人の行き交う通路の向こうに見慣れたオレンジ色が目に入る。なるほど確かにこうして見るとよく目立つ。あの中にいると当たり前になってしまうが、外から見れば鮮やかなオレンジ色のジャージはかなりひと目を引くらしい。
「本当はめちゃくちゃ悔しいけど、でも、最後が秀徳とで良かった」
「オレもお前とやれて良かったぜ」
 宮地に最初に気付いたのは、やはりチーム内で一番の視野を持つ高尾だった。集団を離れこちらに駆け寄ってくる。おおかた他の部員たちの準備が終わっても宮地の姿が見当たらないので、探しているところだったのだろう。
「宮地サン! どこいってたんですか、ガッコ戻りますって」
「あー悪い、すぐ追いつくから先行ってろ」
「っす。あ、知り合いの方ですか、話し中邪魔してすんません、……?」
 ジャージが今しがた対戦したばかりの学校のものだと気付いたのだろう。高尾はやや不思議そうな顔をしながら頭を下げた。
 宮地は興味津々といった様子を隠さない高尾に苦笑しながら応えた。
「オレの友達だよ」